【旅行記】小笠原諸島旅行記 ~戦跡ツアー

※2013.3月。過去に行った旅行記です。
現在コロナ過の為、小笠原諸島に行く際にはPCR検査を受け入島する事を、強くお勧めします。安心、安全に旅行を楽しみましょう。

『戦跡ツアー』
第二次世界大戦中、日本軍が築いた壕や大砲跡、戦争の遺物を巡るツアーです。

島寿司を堪能し、13時に宿まで迎えに来てくれるということで南国の風に髪をなびかせながらワインを片手に待つ(←理想)

13時半から戦跡ツアーが始まることが多いらしいんですが、予約する際に13時か13時半かと問われ、なんも考えなしに13時に。

したらば!
時間に余裕があるらしく眺望のいい場所へ連れてってくれた!!

が見渡せる場所にも車を止めてくれて…

更に長崎展望台へ連れてってくれました!

もちろんここ長崎展望台もその辺り一帯も遺産区域。

いやもう海が綺麗過ぎで一人
「最高ッッ!」
言うてました

長崎展望台から草むらの中に入って行くと…

陸軍では「照空灯」(しょうくうとう)
海軍では「探照灯」(たんしょうとう)

と呼ばれていたようです。
でっかいライトですね。

これで敵の軍艦なんかを照らして狙い撃ち。っても逆にそこにいる事が分かって狙い撃ちされそうな。日本軍は、やられる前にやってしまえのガンガン行け!という感じだったのでしょうか。


更に、こんな所にも夜明山に行く前に寄ってもらいました。

国立天文台VERA小笠原観測局

でっかい電波望遠鏡!

この小笠原観測所石垣島観測所入来観測所(鹿児島)水沢観測所(岩手)四局で同じ星を同時に観測すると直径2300kmの望遠鏡と同じ性能を得られるらしい。

月面上の一円玉を判別出来る精度なんだって!
凄いッッ!

月で鼻くそほじってたら、めっちゃばれますね。

こんな可愛い標識も♪

可愛いですね(^^)

オカヤドカリ注意ですね。
父島ではこの標識、ここだけだそうです。

オカヤドカリは、今では数を減らし
天然記念物に指定されています。

そして、夜明山到着。
夜明山には、海軍通信所や陸軍高射砲隊がいました。

通信隊の発電所跡へ

ここに大型の発電機二機があったようです。

厚さ60cmのコンクリートの壁、鉄の扉などもありましたが…

敵からの爆撃を受け、その爆発の衝撃で天井が凹んでいます。

ここから先に進むと監視所が。
ここから敵の位置を確認し、砲撃隊に連絡をしたそうです。

…いやいやいや
落書きはダメッッ!

こういう事やる人おるよね。
ここからの眺望がまた…

これまた綺麗!最高!
初寝浦!

さぁ~これから夜明山の中に入ります。
色々な植物も沢山生きております。

タコノキ。
小笠原諸島の固有種です。

タコの足のような木根を広げているので、タコノキと名づけられているようです。

海軍食料貯蔵壕

中は真っ暗なので懐中電灯手に入ります。

中は凄く広く車でも走れるぐらいです。これを人の手によって掘るんだからどれだけ大変だったのか。

兵隊だけでなく、囚人、開拓者たちも集め穴を掘る作業にあてられたようです。

左:当時の薬瓶がそのままに。
右:鋼鉄の扉跡。

水を溜めていた釜ですかね。
で出来ていました。蓋も

この壕を抜けると…

四一式山砲

車輪の軸は、木で出来ていました。

第二次世界大戦ではすでに旧式だったようですが、小型で移動が楽だという事から使われていたようです。

オガサワラビロウ

固有種:ヤシの仲間
島名:シュロ

戦前はこの葉を民家の屋根に使っていたようで、その家の事を『ゲゲゲハウス』と呼ばれていたようです。キタロウの家に似ていたんですかね(^^)

コンクリートを作る砂が入っている袋。

ずっと放置され続け、もう岩みたいにカッチコチ。戦争が終わり、そのままになっているんですね。

これは軍で使っていた食器。

この星マークがついてるのが特徴ですね。

鉄で出来た物もあったようですが、ありとあらゆるものが不足していたんでしょう、鉄で出来ているものは家庭にある物もすべて没収され、溶かされたりして戦争の武器とかに使われていたようです。

次の壕へ

右の写真は映画『硫黄島からの手紙』の中で出てくるワンシーンにもありました。

出入り口ですが、少し小さめなんです。

なぜか?

外人って大柄な人が多いですよね?
すぐに入ってこれないようにする為
なんですって!

そして、中はLの字になってるんですが、手榴弾を投げ込まれても奥まで入らないように作られているようです。

外に出ると…

マルハチ、固有種。

丸の中に八の字が逆さになってますが、八の字に見えるのでマルハチという名前なんだそうです。

これ、木のように見えますがシダなんですって!(シダは胞子によって増える植物)

それを考えるとめっちゃでかくないっすか?
さすが小笠原!

線路と車輪(トロッコ)

きっと沢山の荷物とか色々なものを運ぶのに使ったのでしょう。

これまたそのまま放置してあります。

ムニンヒメツバキ、固有種。

花が5~6月に咲いて、それこそ
咲き誇ると森が白になるとか。

そして、
散ると地面が白一色になるんですって!

稀にそうなるようですが、見てみたいですね!

次の壕は、高射砲隊壕

出入り口はかなり急になっており、中には高射砲の残骸があります。

終戦後、アメリカの命令で破壊させられた?という話もあるようです。日本軍が二度と使えないようにする為に。

八八式七糎野戦高射砲
(はちはちしきななせんちはんやせんこうしゃほう)

最大射程 13,800m
最大射高 9,100m
(有効射高は4000m以下)

皇紀2588年、天皇制の年号、昭和に入って作られた物のようです。2588年の88から名前が付けられたみたいですね。

一分間に15発、熟練部隊なら20発打てたようです。

そしてこれが
塹壕(ざんごう)です。

兵士はここを通り身を隠しながら移動していたんですね。

当時のまま残っているのでしょう。

まる~く円になっているんだけど、ここに本当は先ほどの八八式七糎野戦高射砲が設置されていたようです。

ここから敵の飛行機を打つ、しかし、当時のB29もそうらしいんですが、
有効射高の4000mより上空を飛ぶ
ので意味がない。

そこで壕の中に持っていって、海岸から上がってくる敵兵を狙うのに使っていたようです。

少々長くなったので、
次回 戦跡ツアーラスト+ナイトツアー
続く。
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